佐田音輪業 佐田幸雄さん
インタビュー企画「あきんど道商店街のヒト」は、近江八幡市の旧市街地(仲屋町(すあいちょう)・為心町(いしんちょう)・魚屋町(うわいちょう)・新町)に所在する「あきんど道商店街」と関わりのある「ヒト」にフォーカスを当ててインタビューをし、その方の魅力をご紹介する企画です。
今回の「あきんど道商店街のヒト」は、ここ仲屋町で生まれ育ち、家業を継いで57年。佐田音輪業の佐田幸雄さんにインタビューさせていただきました。
まちの人の移動を支えてこられた技術者の佐田さんは、これまでどのような経験を経て、何を大切に思い、これからの時代の商店街をどう見ているのでしょうか。お話を伺ってきました。
プロフィール:佐田幸雄さん
仲屋町出身。家業を継いで57年。
100年もの間、まちの人の移動を支えてきた場所
——まず初めに、「佐田音輪業」さんの名前の由来を教えていただきたいのですが、佐田さんの屋号にはなぜ「音」が付くのですか?
佐田さん:これはね、うちのおじいさんが音次郎っちゅう名前やってん。ほんでそれで、佐田音次郎さんの「次郎」は取って、「佐田音」。
——なるほど!昔、楽器屋さんやってらしたのかな、と思っていました。
佐田さん:楽器屋はやってへんけど(笑)、ずーっと自転車屋で、うちの親父と私の代でもう100年ですわ。まあここら辺の自転車屋では、一番古いんじゃないかな。
半世紀前は、各家で自転車買えへんっちゅうか、ほんだけの身近な物やないという時代やったでね。お店に自転車3~4台置いといて、今のレンタカーみたいに、貸し自転車っちゅうのをやってたんですよ。当時は、自転車が一般の人にはまだそこまで普及してないさかいね。そやけど、自転車に乗りたいっちゅう気持ちがあるさかいに、ちょっと「今日1日貸してくれ」とか「2日間貸してくれ」とかというのがありました。
ほんで昔の話やけどね、百姓をやっている人は、普段はあんまりお金ないわけやねん。例えば、5月〜6月に自転車を購入して納品しても払えないから、10月頃に収穫でお金が入ってきますわな。そのときまで長期的に、お金を貸してたのよ。田んぼの稲刈って、収穫になってきたらお金もらえてたわけよ。自転車も高額だったときは、給料の1ヶ月分くらいする時もあったね。
——佐田さんはいつ頃からこのお店を継がれたのですか?
佐田さん:20歳ごろから名古屋まで自転車整備技術を覚えるために修行に行ってたで、もうこの仕事は57年になるな。もうこの2月で77歳やで。
今は自転車は注文したら完成した形で送ってくるけども、昔はもうみんなそれぞれ部品が別々で、全部自分で組み立てなあかんかった。そんな時代やったから、必要な技術を名古屋に行って習ってきました。
そのあと、自転車だけでなくバイクの整備技術も習わないかんいうて、ホンダの工場にも2年程勉強に行ってました。それから店ではバイクの販売や整備をやったり自転車の販売・整備と両方をやってました。
——佐田さんがお店を始めた後の時期1970年〜80年代ごろ、みんな自転車を持つようになった時には、この商店街も自転車がたくさん走っていたんじゃないでしょうか。
佐田さん:そうやな。そしてちょっと学生らは荒てたさかい、そういう悪いことっちゅうのは前はもっと多かった気がするな。
親に内緒で免許取ってきて、バイクは買うて連れの家に置いとくとか(笑)。そういうやんちゃな子もおったわな。そういう若い子らが結構店の前にたむろしてたので、面倒をみたり、バイクの修理をしたりしてきました。
大事に扱うということは、
その状態にも気づけるということ
——佐田さんご自身もバイクは乗られてたんですか?
佐田さん:ずーっと乗ってましたよ。前は大きいバイクでいろんなドライブへもよう行ったよ。バイク仲間や同級生と六甲や岐阜までいろいろ行ってた。250ccのバイクよ。
——ここのお店は販売だけでなく、バイクや自転車の修理も受け付けてるんですよね。
佐田さん:事故でへこんだバイクなんかも部品替えをしたり、直しますよ。そこにあるバイクもちょっとバラして直してんねん、今。
もともとこういう作業が好きやねん。修理してほしい言うてはる部分を何とか直して、また元通りにするのが嬉しいっちゅうか、あれやな。頑張ってんねん。
昔のほうがみんな自転車も綺麗に乗ってはったな。みんな綺麗にタオルで磨いてな、やっぱり自転車を外に放っとかへん。小屋とかやっぱ家の中入れて、やっぱメンテナンスきちっとしてはる。今の人は自転車をもう使い捨てみたいに思ってはるさかい。だってもう安くてなんぼでも売ってはるさかい、壊れたらまた買うたらええやんと思ってるんやろな。
だから私らはあんまりもう安いメーカーの新車自転車は売ってへん。安いメーカーのは、どうして早く壊れてくるしな、良いメーカーのものしか取り扱ってない。でも歳いったらあんまり直す意欲がなくなってきてん(笑)。
——それを聞くと、私ももっと大事に自転車に乗らないといけないなって思いました。
佐田さん:そういう大事に自転車に乗ってはる人がいるとこっちも嬉しいよ。修理やメンテナンスに持ってきはっても、スカーッとしてから気持ちいいよな。
今は大量に作って、安くコスト落として売ってるさかい、自転車は安く買えるって思って、みんな扱いがええかげんやな。悪くなったらばいばーいってして、また買うたらええわって。タイヤが減ってきて、タイヤを変えるのに高くつくんやったら、もう自転車うち新しいのに変えるわっちゅうてな。
自転車一つにしてもやな、やっぱり自分である程度こういうもんに対する認識を持ってもらわなあかん。例えば、長い間乗ってるとチェーンがぐっと伸びていくんね。あとチェーンが外れたりするさかいな。ほんでまあ自分で乗ってちょっとおかしいと思ったら事前に持ってきてやな、「これおかしいから見て」とかこういうのがあるといいけど、乗れんようになるまで乗ってしもうてる。自分で自転車の状態を把握したり、メンテナンスできるかは重要やな。
商店主の努力が続く商店街
——佐田さんが長年見てきた商店街、どんな風に捉えていますか?
佐田さん:なかなか自分のとこを自分で見るのも難しいな。まあ歴史が古いですわ、ここね。今までの先輩たちがみんなよう頑張ってやってきてくれはったさかい。他の人も言うてはるやろうけど、北海道味祭りっちゅうのがあってね、始まってからだいぶなるやろ、50年くらいちゃう?
それともう一つは、夏の中元売り出しと、今の年末売り出しのときに、「はちまんいち」っちゅうて、毎年一年に2回ずつとかやってたな。
商店街組合の方と一緒に研修の一環で豊後高田や倉敷にも行って勉強したり、理事だけで月一回集まって、会の名前は「十三日会」いうてな、ちょっと飲みながら喋る。これをずーっとね、200回ぐらいきてんのかな?月一回、ほんで一回ずつ当番制にしてな。
——50年続くイベントに加えて、200回も続いている理事の集まり。すごいですね。十三日会は佐田さんが理事会に入られたときに始めたんですか?
佐田さん:そうやね。まあ発案は私とちゃうねんけどな。小山さんっちゅう人がおって「お前のときからしてくれ」とか言われて、始めたんやけど。小山さんは、ずーっと商店街のアイデアマンやってん。いろんなことアイデアを出してくれた。
十三日会は、数えたらもう15~16年やってきたことになるな。
——毎月十三日会を継続してやってきたからこそ生まれたものってありましたか?
佐田さん:商店街もあんまりお金がないさかい、補助金ももらって何かしようっちゅうのは、いろいろ考えてたんやわ。ほんで一回ここのFM放送呼んできて、催し物やビンゴゲームをしたり、それからオーケストラを呼んできてね、この広場のとこでコンサートをしたこともありましたね。
今はコロナで大変な時期だけれど、これからも観光客相手にもいろんな催し物をしたりして、飲食業の人が潤うようなことができたらと思いますね。
—————編集後記—————
佐田さんのお父さんのころは、自分が自転車に乗りながらもう一台の自転車を手に持って数十キロ先まで自転車を配送していたとのこと。まだ道路もきちんと整備されていないだろう道をお父さんが自転車を抱えて走っている風景を想像しながら始まった佐田さんへのインタビューの時間は、近江八幡の100年の風景の移り変わりを頭のなかで想像しながら堪能させてもらった楽しい時間でした。
また、佐田さんはまちの技術者として人々の移動を支えながら、若い子達が集まってくる場所の一つにもなり、そして、あきんど道商店街も長年支えてきてくださったことがわかりました。
店内に置かれている多種類の部品ケース、修理の途中で解体されたバイク。インタビュー中にも何人もの方が修理の受け取りや相談に来られている様子を見て、まちの人にとって欠かせない、重要な場所の一つなんだなと感じました。
以前、私が錆びた自転車を持っていって、佐田さんにタイヤのメンテナンスをお願いしたときに、「もう何年も乗ってないやろー」と見抜かれたことを恥ずかしく思いながら、また修理やメンテナンスが必要になったら佐田さんを訪ねよう、と思いました。
丁寧な技術者である佐田さんのところへ、みなさまもぜひ。
INFORMATION
佐田音輪業
〒523-0862 滋賀県近江八幡市仲屋町中11
TEL:0748-32-2867