マルジュー洋品店 川村隆さん

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インタビュー企画「あきんど道商店街のヒト」は、近江八幡市の旧市街地(仲屋町(すあいちょう)・為心町(いしんちょう)・魚屋町(うわいちょう)・新町)に所在する「あきんど道商店街」と関わりのある「ヒト」へのインタビューを通じて、人や地域の魅力を伝えながら、商店街のより良い未来も考える企画です。

今回の「あきんど道商店街のヒト」は、マルジュー洋品店の川村隆さんにインタビューをさせていただきました。

ここ仲屋町で長年洋服店を通じて、この地域の流行を見てこられた川村さんは、これまでどのような経験を経て、何を大切に思い、これからの時代の商店街をどう見ているのでしょうか。お話を伺ってきました。

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プロフィール
川村隆:近江八幡生まれ。八幡商業高校を卒業し、京都の百貨店で14年間の営業マンを経て、近江八幡へ。マルジュー洋品店以外にも様々なチャレンジをしてきた。趣味は釣りとゴルフ。  

京都百貨店のトップ営業マンから近江八幡へ

——このお店を始められた経緯を教えてください。

川村さん:マルジュー洋品店は、もともと家内のお父さんがこの商店街で始めたものです。一人娘の家内と若い頃に結婚したのをきっかけにお店を継いで、ここへ移ってきたのがきっかけです。

生まれは八幡で、八幡商業高校を卒業してから京都の百貨店に就職して、14年間向こうへ勤めていました。
もともと大阪とかそういうとこへ勤めたかったねんけど、京都もね、面白かった。  

——近江八幡で働くまでは、どんなお仕事をされていたのですか?

川村:京都駅前の百貨店の売り場を回っていました。一番初めは、お菓子売り場やった。次が毛糸の売り場で、毛糸の種類がいろいろあった。あの当時は、織る機械が流行ったときで、みんながよく汽車に乗ってても編み物してはったんや。
で、次がアクセサリー売り場へ行って、その後には自転車売り場も行ってたな。自転車やらバイクもね。  

——そういった様々なお仕事をされて、32歳のときにここでお店を引き継がれたんですね。

川村:そうそう、当時のお店の場所はいまのお店の場所じゃなくて、現在の丸十金物屋さんの斜め向かいの、クリーニング相互の前にお店がありました。
その当時は、婦人服や紳士服、作業服や肌着なんかも全般扱っていたから、大阪や名古屋、岐阜、神戸にも買い付けに行ってました。  

——あちこちに買い付けに行かれていたのは、とても楽しそうですね。

川村:楽しいことなんてない。しんどいで。
やっぱり、自分が見て仕入れてきたやつが売れなかったときは、誰にも怒りようがない。自分が仕入れてきた商品が、こんなん仕入れてきたらあかんやろなんて言われ流こともあります。自分が悪いのですがね。  

——昔はどんな服が人気だったんですか。

川村:どういうものが人気かといっても、案外何でも売れたな。昔は何でも買っちゅうのかな。まだ戦後やったでな。いくらでも、何でも売れていたが、もちろん貧しい人もいましたね。今でも昔の在庫も、倉庫に入れてあるので、あることはあります。
そういう在庫は、ときどきバザーなどがあるときにあげています。この間もちょっと欲しい言わはったで、あげました。学校の体操服とか。
昔は、琵琶湖や山の向こうから自転車で来はる人もおった。お客様名簿にみんな住所が載ってんねんけどね。京都からの人もいはるで。いろんな所から来はるで。彦根からでも来てはったで。

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戦前生まれの馬力と価値観

——川村さんって接客されるときも、こういう面白い話をしてくださるんですか?

川村:面白いか?面白いことないやろ。
でも、やっぱりしゃべるのが好きっちゅうのかな。
昔、百貨店の外商部で営業の仕事をしていたころ、神戸やら大阪へ訪問販売に行っていました。作業服や自動車、ピアノも売っていたし、いろんなものを売ってたわ。
——いろいろと川村さんのお話を聞いていると、川村さんと同じ80代くらいの方にはすごい馬力があるように聞こえるんですけど、やっぱそうでした?

川村:そうやね。それは戦前も知ってるし、戦後も知っているからね。周りは大概、みんな戦後生まればっかりやん。
——なんで川村さんはそんなに頑張れたんですか。

川村:自分がせな食べていけんっちゅう気持ちかな。生まれて何かせなあかんと思うて、戦後、惨めなもんやったでな。あったもんは全部食べなあかんとかな。私らの世代は同窓会をやったら、出された料理を全部食べてしまうのよ。

出されたものは何でも食べるという習慣がついたんやわ。好き嫌いしてたら、もう持っていかれる。それぐらいの時代に生まれたので、何でもものを大事にしてきた。そして、変わったもんがあったら、すぐ飛びつきとうなんのやわ。

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大事なことは、誠実であること
そして、ちょっと変わったことをすること

——なるほど。だから、いろいろなチャレンジにつながったんですね。
色々なご経験をされてきて、仕事をするにあたって一番大事なことってなんだと思いますか?

川村さん:人に嘘つかんことやわ。決まったようなもんやけどね、嘘ついたらどこかでバレるんやわ。「おまえ、そんなこと言わへんでええけ」とか言われるんや。

あとは、ちょっと変わったことをせなあかんね。

昔、商店街のイベントで、タライに砂糖を入れて、砂糖のすくい取りっちゅうやつがあったんや。スコップでガーッとすくえる。あれは2キロぐらい砂糖すくえるのと違うかな。その面白さとかで人が集まってくる。
それは年末に、お客さんが商店街で買いものをしたら抽選券を渡して、それで1等が当たった人が砂糖すくい取りをできたりしたんや。その時はすごい人がたくさん並んではったんや。

——「ちょっと変わったこと」と言っても、毎回アイデアを出すのは大変だと思いますが、川村さんは変わったこと考えるのが好きなんですか?

川村さん:面白いわな。自分がやってても。
過去に「仮装行列」をやったこともある。盆踊りは車の上に櫓建てて、その上で音頭を取りながらこの商店街をずっと歩くこともしてたわ。
昔は、行事のときにはここが歩行者天国になった。しかし、あまり長い時間封鎖すると、バスがここを走れなくなるので、バスの定期を使っていた人たちから怒られたこともあった。それからは、警察にも行って承認ももらってからやりました。

——改めて、川村さんは顔が広いですよね。このお店だけでなく、ロータリークラブもやっていたり、それだけ色々なことをやられるのはどうしてですか?

川村さん:いろんなところに足を運んで知り合いを作っておくことは大切。
やっぱり、いろんな人との関わりがちょっとずつあると、ちょっと変わったことをしようとしたときに、こういうのやったらあの人がおるわとか、「何とかしてな」と言えるもんな。ちょっと相談しようとか。

——時代に合わせて、新しいことを取り入れる柔軟さみたいなものが大事なのかもしれないなとお話を聞いて感じました。

川村:早う取り入れなあかんで。2度目、3度目ではもう遅い。流行は早いでな。

—————編集後記—————

川村さんのお話を伺う中で、改めてもっとこの地域で遊ぶことの大切さを感じていました。

遊ぶことは、その人の活力であり馬力につながるもので、イベントや祭りの際には少し「やんちゃ」になるくらいの気持ちで、地域一帯を盛り上げていくくらいの「遊び心」があってもいいんじゃないかと言われている気がしました。
川村さんは、モノが豊富で豊かになった今では多くの人のお行儀が良く大人しくなってしまったと感じると話していました。それは、戦後何もなかった時代からずっときばってきた地域の大先輩が向ける、次世代の活躍を期待するやさしい眼差しなのだと感じました。

「もう歳だしお店に立つのもしんどいんやわ」といいつつ、休みの日には自転車で10km以上もサイクリングをされる、まだまだ元気で素敵な川村さんに、みなさまも是非足を運んでみてください。

INFORMATION
マルジュー洋品店
〒523-0862 滋賀県近江八幡市仲屋町中20
TEL:0748-32-3748