まちや倶楽部 宮村利典さん

インタビュー企画「あきんど道商店街のヒト」は、近江八幡市の旧市街地(仲屋町(すあいちょう)・為心町(いしんちょう)・魚屋町(うわいちょう)・新町)に所在する「あきんど道商店街」と関わりのある「ヒト」へのインタビューを通じて、人や地域の魅力を伝えながら、商店街のより良い未来も考える企画です。

今回の「あきんど道商店街のヒト」は、滋賀県近江八幡市旧市街に残存する歴史ある建物の維持保全・再活用を通じて地域の賑わいをつくる「まちや倶楽部」代表の宮村利典さんにインタビューさせていただきました。

滋賀県庁職員の経験を経て、2012年より近江八幡で古民家の利活用、コワーキングスペース、宿泊施設等、様々な事業を展開してこられた宮村さんは、何を大切に思い、これからの時代の商店街をどう見ているのでしょうか。お話を伺っていくと、まちへの思いが宮村さんの原動力となっていることがかわってきました。ぜひ最後までお楽しみください。

「自分も何かしないといけない」という思いが活動のはじまり

ーーまずはじめに、「まちや倶楽部」を始められたきっかけを教えてください。

宮村さん:「まちや倶楽部」という名前がつく以前の話ですが、私の父はサラリーマンをしながら所有している建物のスペースを使って商店街のイベントや展示会をしていたんですね。土日にそれを手伝い始めたことが最初のきっかけになるかなと思います。

その頃、私は滋賀県の職員をしていて、健康福祉政策課で地域の福祉系NPOやボランティア活動の支援をする仕事をしていました。

宅老所や認知症介護等の難しい課題に取り組んでいるNPOの活動を見ていて、この人たちは本当にすごいと思ったんです。そういったNPOの支援をすることは行政の仕事として必要だと思いますが、一方で間接的な仕事でもあるので、「自分も地域に出て行って何かしないといけないんじゃないか」とだんだん思うようになっていたんです。いつかは自分も地域で事業をしていきたいな、というのはずっと心のどこかにあってモヤモヤしていました。

そんな中、父が酒蔵を買って活用しようという話になり、父と一緒に「まちや倶楽部」をつくることになったんです。

ベストを模索し続けた先で見えてきた町家活用のあり方

宮村さん:さて、この酒蔵をどう活用するのがいいだろうか。どんな活用をするにもお金が必要だし、「3〜4年の間くらいには何かしらの核となる事業がないといけない」というところから、父と相談しながらの検討が始まりました。

最初は、僕が手づくりでホームページをつくったり、色々な方を紹介していただいたりする中で、とにかく用途は何でもいいからスペースを使ってみてもらう、ということをやっていったんです。がむしゃらに積み重ねれば、3年かそこらで答えが出てくるんじゃないかなと思って。

だから、初めからこの酒蔵を商業施設にするとか、そういう考えがあったわけではありませでした。商店街のイベントや「八幡堀まつり」とかいろんなことに使ってみて、どうなるかを模索していったんです。

映画『るろうに剣心』の撮影に来てくださったり、社会福祉法人の施設の方に作品の展示会場として使ってもらったり、学生さんのフィールドワークや町中でゼミをする拠点としても数年間にわたって使ってくださったり。そうして色々な活用を模索する中で「観光の文脈で活用できると良いのでは」ということが徐々に見えてきました。

この酒蔵は昔ながらの景観、八幡っぽい雰囲気が残っているので、この雰囲気を残すことは大事だと思っていました。また、事業をするにしても地元の人にとっても嬉しいものじゃないといけないと思うので、昔の雰囲気を残したまま、それでいて観光として事業化できるかたちに繋げていくというのがひとつの方法なのではということも見えてきたんです。

そこで、当時はまだ八幡に宿があまりないということもあって、宿に改築することにしました。それと同時に、コワーキングスペースを設けたり、お店を誘致したり、活用を広げていこうと考えました。

まちの未来には必要なのは、この地域で働き、暮らせる人が増えること

ー公務員時代に感じていた心のモヤモヤと今の取り組みはどう繋がっているのでしょう?

宮村さん:今事業でやっていることは、大枠で言うと宿とコワーキングスペースと、店舗の誘致なんですが、その背景には、人口減少による地方衰退への課題感があるんです。

商店街を含め地方の人口が減ってきて、町自体が成り立たなくなると言われている中で、「この建物が何かできるんじゃないか」ということが発想としてあって。

観光で泊まって滞在するお客さんを受け入れることによって、人口が減っていく中でも経済が賑わって、町が元気になるんじゃないかな、と思うんです。それをやるためには、実際にお客さんを連れてこないといけないという以前に、ここで働こうとか、ここで商売をしようとか、そういう人が集まらないことには始まらない。

だから、建物を整備して、自分自身も宿を始めたんですけど、一人だけでお店をするのではなく、店舗として「まちや倶楽部」に入ってもらったり、コワーキングスペースを設けて、ここに通勤したり、働く場所として使ってもらう。

違う文脈の人たちが絡む接続点があると、地元の人だけじゃなくて、面白い人がくるんじゃないかな、という期待感があるんです。

口で言うのは簡単なんですけれど、やるのはなかなか難しくて。会員さんもだんだん増えてきましたが、まだまだ模索しているところです。

古いものをただ残すのではなく、どう残すか考える 

ーーすごくたくさんのことを試行錯誤しながらされてきたんですね。

宮村さん:宿をやり始める前までは、本当にがむしゃらでした。色々と頭を悩ませながらもやってこれたのは、僕自身も“古いものが好き”というのがあると思うんです。昔の日本の古い建物を壊してしまったら二度と元には戻りませんから、「壊したらいけない、残したほうがいいに決まってる」みたいなことが頭の中の9割を占めていたんです。

この「あきんど道商店街」に、観光客も来て、働く人も来て、かつ地元の人にとっても懐かしさがあって八幡らしくていいなと思ってもらえるようにしたいんですけれど、それをやるには、近江八幡らしさを失わないように気をつけて修繕し、一方では時代に合わせて変化していかなければなりません。変化しながらも八幡らしさは残さないといけない、というところが難しいんです。

色々と商店街の人たちや専門家にも相談しながら、建物の直し方や、どういうものを最終的に目指すのかを軌道修正してきました。

建物を「会場」として人に貸すのであれば、「会場」として使ってもらえる形に整備が必要ですし、単に残すというより、使ってもらうことで建物が価値を持って残っていく。「古い建物は残したほうが皆にとっていいですよね?」というところが結構深いというか、「なんでそうしないといけないの?」みたいなところを考えて実践しているうちに、だんだんと考えが整理されて形になってきました。

原動力はまちに対する危機感とまちの持つポテンシャル

ーー宮村さんがそんなにも頑張れる、原動力って何なのでしょうか?

宮村さん:県庁で地域福祉の部署にいたときに、孤独死の問題がクローズアップされ始めたんですね。自分の住んでいた市の周辺でも孤独死は普通にあって、地域をなんとかしないとやばいと強く感じたんです。

これまでは、地域で孤立しないために隣近所の関係性や血縁というのがまずあって、それをさらにカバーするのに民生委員さんが活躍しているのですが、近年その仕組みが成り立たなくなって、一人で孤立する人が増えてきている。仕組みが機能しなくなると、弱い人たちが一番ダメージを受けていくんです。高齢者も障害者も、子供も、全部そうですけれど、そういう孤立していく人たちに接する網の目をどう張りめぐらせるかといった課題がありました。

その根源には、少子高齢化に加えて、駅前などに人が集まる“都市化”によって、地域に人がいなくなっていく。それによって様々な問題が生まれている現状があるので、できるものなら若い人が少なくなった地域に、また人が暮らせるようにしないといけないと思う。

このままいくと町が成り立たない、このままだったらいけない、何かしないといけないという危機感が原動力のひとつです。僕らの世代が頑張らないといけない。昔のように経済成長が著しい時代ではなくなっているので、僕らの世代はちゃんともう1回新しいことをしないと。放っておいてはだめような気がしています。

そして、もうひとつは、八幡に可能性があると思ったことです。

皆感じておられると思うんですけれど、八幡には色んな背景があって、まちの資産になり得るようなものがいっぱいある。だから所有している建物を使って、商店街を賑やかにしようと思ったら何かできる可能性があるんじゃないかなと。

そういうポテンシャルを感じたから、という言い方でいいのかもしれないです。なんでやるのかといったら、できると思うからです、ということ。やったほうが絶対にいいに決まっているので。

ーー宮村さんが以前、「この町で活動する人を増やさないといけないんだ」とおっしゃっていて、すごく共感したことを思い出しました。

宮村さん:ありがとうございます。これは皆も言っていることですけれど、ここで何かをする人、例えば、お店をしたり、NPO活動だったり、何でもいいんですけれど、やっぱり町にいる人が増えて、ここに人さえいたら、絶対にあらゆる問題の解決の糸口が生まれるはずなんですよ。

人がいなくなるから色んな問題が出てくるわけで。人がいたらいたで、どうやるかというのはもちろん頭を使って考えないといけないんですけれど、前提として、人がいないことには、ということはやっぱりあると思うんです。

そういう前提で、まちで活動する人を増やすために、町家をどう使うか、何をすればいいかと考えていくと答えが見えてきて、地域の人に使ってもらいやすい場にしたり、観光のお店をつくることに繋がっていきました。

今の時代において、建物が担う役割を色々な人と模索する

ーー宮村さんの、いろんなものを受け入れられる柔らかさはどこから来るのでしょうか?

宮村さん:結構頑固なところもありますよ(笑)。仕事で議論になることもありますが、それはお互いが真剣だからですね。

でも、柔らかいというのは、心がけているかもしれないです。近江八幡で生まれて滋賀県内でずっと仕事をしてきたので、僕が知らない世界はものすごくあると思っているんですよね。だから、色んな人の活動やお話をできるだけ見たり聞いたりしたいという思いがあって、自分の意見を最初から押し通すのではなく、色々な人の意見を聞いてみる、色々なものを見てみる、ということは姿勢として意識しています。

例えば、今の若い女性に好まれる建物の直し方とか、そんなこと僕はわからないんです。アートとか、おしゃれな商品とか、美しい建築とか、福祉とか、NPO活動とか、そんなの僕がわかるはずがなくて。

たとえばうちの親父とかは、「ここを赤ちょうちんの飲み屋の横丁にしたら?」とか言っていて。まあ、それはそれで割とと面白いんですが。おじさんたちが聞いたら、「いいじゃないか、わしらも飲みに行くわい」とか言ってくれて。でも、いやいや、それはもうちょっと考えようということなんです。

僕とか、商店街の人とか、親父とかだけで考えたらいけないんです。僕がもちろん最たるものですけれど、今の時代、町をどう使うといいかというのは、そんなに簡単にわからないんですよ。だからいろんな人に見てもらって、どう直していくのが一番いいのか、やっぱり色んな人に見てもらって決めないといけないと思うんです。

「ヴォーリズ記念館」の藪館長さんもおっしゃっていました。建築家のヴォーリズさんがつくっていた建物も当時の役割があって、その役割に合うように建物が建っているんだけれど、時代が変わって、今の時代でこの建物はどういう役割を担ったらいいのかが重要だと。

同じように、町屋の役割というのは同じように時代によって変わる、と。昔近江八幡はおじさんたち慰安旅行先だったけど、今は働く女性の方々が多くいらっしゃったり、海外からの観光も多いわけです。

その人たちの文化に合うような建物の使い方が求められている、ということがきっとあるでしょうから、町家を再生するにしても、じゃあ今はこういう役割が必要なんだという町家の再生にしなきゃいけない、かつ、それがちゃんと長続きするように考えないといけないと思っています。

地元の人が誇りを持てる、ここで暮らしたいと思えるまちへ

ーーこれからの「あきんど道商店街」がどうなってほしいか、この地域への想いがあればお伺いしたいです。

宮村さん:やっぱり仲屋町通りや商店街にお店がズラッと並んで、全部のお店に明かりがついていて、そこに観光客の人がずらずらといて楽しんでいるような、そんな感じのまちになってほしいですね。そのときに、古い建物がうまく活用されている状態になったらなと。

私たち地元が喜んで、笑顔で商売していて、お客さんもいっぱい来ている。この通りがそういう状態になってほしい。商店主の人にとってもいいし、地元の人にとっても嬉しい状態。 地元の人にとっても、「うちの町は綺麗やろ?」みたいな、誇りが持てるといいなと思っています。

近江八幡には「ラコリーナ」や歴史のある建造物もたくさんある上に、仲屋町通りという賑やかな商店街もあって、「1日遊べるから来てね」とみんなが自慢できるまちになっていったら、本当に一人で困っている人はこのまちにはいなくなっていると思う。そういう意味で、地元の人も誇りが持てて、自慢できて、皆が元気な状態になるんじゃないかなと思います。

そうなれば、地元の人も暮らしやすくなりますよね。まちが賑わったり、人が集まる商店街になったら、食料品店さんとかもお店を開けると思うんです。例えば、「おばあさんが毎日お店開けるの難しいんだったら僕が代わりにやるわ」という若者が出てきたり、八百屋と魚屋が食堂と合併して一手にやるわ、みたいなこともあっていいし、農業の人がお店をやってもいい。皆でそんな雰囲気にしていくといいなと思います。

ーー今後ご自身の活動を進めていこうとするときに、どんな人と一緒に取り組みたいですか?

宮村さん:この地域で自分も仕事をしてみようかな、住んでみようかなとか、ここに住まなくても活動のフィールドにしようかな、とか思って来てくださる方と関わりながら、一緒に盛り上げていけるといいなと思います。

よくある話で、縁もない遠くから来たデザイナーが、地域の文脈をわからずに関わるとよくないという話もありますが、僕としては、実はそれもすごくいいなと思っていて。

主導権は地元の人が握るほうがいいと思いますが、文化財や建物の活用というのは結構裾野が広いので、いろんな分野の人が関わってくれるといいなと思っています。

やみくもに外の人にたくさん来てほしいというより、地域が良くなっていくために、色々な人で仕事ができて、家族も養っていける、新しい技術を取り込んでいける、そんな受け皿がここにあることが重要だと思うんです。地元に定着してくれる人、関心を持ってもらえる人を大事にしたいし、そんな人と出会えたり、一緒に活動できると一番嬉しいです。

—————編集後記—————

最後まで読んでいただきありがとうございました。今回宮村さんのお話を聞かせていただき、宮村さんの活動の背景にある考え方やそれを着々と形にしていっている様子を垣間見ることができ、ただただ感銘を受け、ぜひ色々な方と共有したい!と思い長文の記事になってしまいました。

「まちづくり」ってなんだろうと考えることがよくあるのですが、今回宮村さんのお話を伺って、人が生活し、出会い、営むことができる、そんな場所がまずベースにあることが最も大事で最も難しいことかもしれないと思いました。そのベースがあれば私たちは集い、対話し、良い地域づくりに向かっていける。目の前の課題解決だけでなく、取りこぼしてはいけない本質的な部分に取り組んでいらっしゃるんだと感じました。

まちや倶楽部さんは様々な活動、展開をされています。その背景にある考え方を今回少し伺えたことで、まちや倶楽部の入り口に入った瞬間の感覚や視点が変わり、店内をもっと豊かに味わい楽しめるようになりました。

ぜひ元町屋・酒蔵の素敵な空間を味わいに足を運んでいただけると嬉しいです。
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