Going-Nuts! 道城牧人さん

インタビュー企画「あきんど道商店街のヒト」は、近江八幡市の旧市街地(仲屋町(すあいちょう)・為心町(いしんちょう)・魚屋町(うわいちょう)・新町)に所在する「あきんど道商店街」と関わりのある「ヒト」へのインタビューを通じて、人や地域の魅力を伝えながら、商店街のより良い未来も考える企画です。

今回の「あきんど道商店街のヒト」は、近江八幡唯一の酒蔵跡にある量り売りナッツ専門店
「Going-Nuts!」代表の道城 牧人さんにインタビューさせていただきました。

ロサンゼルスで生まれ、ハワイやカリフォルニアでの学びを経て、今近江八幡でナッツ専門店は始められた道城さん。どのようにしてナッツにたどり着いたのか、そこには壮大なストーリがありました。今あきんど道商店街を盛り上げている一人である道城さんの想いの源泉となるものが見えてきます。ぜひ最後までお楽しみください。

アメリカに長く住んでいた両親の影響を受けて育った幼少期。近江八幡・ヴォーリズとのご縁のはじまり。

――今日の午前中に商店街の別の方にもインタビューをしていたのですが、「道城さんが明るく賑やかなお陰であきんど道商店街が活性化している」とおっしゃっていました。
道城さんの明るさはどこから来るのでしょうか。

道城:私はよく賑やかだねと言われるんですけど、人を楽しませるのが好きなんです。人を笑わせたり、笑っているのを見ているのが楽しい。
小さい頃からそうですね。それはアメリカ暮らしが長かった両親の影響が大きいかもしれません。

母は高校時代から、父は大学院からアメリカに行き22年間ロサンゼルスに住んでいたんです。そこは楽しい人も多いし、海辺の近くで天気も凄く良くカラッとした地中海性気候なので、もうあそこに住んじゃうとそういう性格になるような感じはします。
あと、うちの父とおじいちゃんは牧師なんですが、そこからも影響を受けているかもしれません。

――ご両親がアメリカに住んでいらして、そこからどのような経緯で近江八幡に来たんですか?

40年前の話ですが、兄弟社学園の学生が荒れていた時期があったんです。兄弟社学園はキリスト教系の学校なので、牧師が学園のリーダーになるのですが、当時の学園長が父に学園の再建に力を借してほしいとアメリカまで電話してきたんです。母は大阪、父は明石の出身なので元々は滋賀の人ではないんですよ。なので、全然知らない近江八幡というところに来るという抵抗感と、頑張ってアメリカの大学も卒業して向こうで就職したのに、大阪、東京やったらまだしも、滋賀の近江八幡ってどこよ?みたいな感じで、びっくりしたらしい。ひたすら断ったんだけど、来て欲しいとしつこかったんですよね(笑)。
それで、近江八幡に移って最初に住んだのが、当時兄弟社の寮だったウォーターハウスなんです。兄弟社さんがなかったら私達はこの土地を踏んでいないわけですよね。

――すごいご縁でアメリカから近江八幡に来られたんですね。近江八幡へ来られたのは何歳の時だったんですか?

道城:僕は当時2歳でした。兄達は6、7歳で。向こうで生まれ育ったこともあって、最初は家の中の会話が、英語だけだったんですよ。小さい頃は兄ほど英語が上手くなかったので、早くアメリカに行って英語をもっと上達させたいと思っていました。

父が兄弟社学園に関わる頃には、海外との繋がりが切れていたこともあって、母がアメリカのクリスチャンの学校へ提携の提案をしに行ったり、そのほかにも父の繋がりでアメリカ以外にも台湾や韓国、オーストラリアへも関係性を広げていって、兄弟社学園に国際義務教育を復活させたんです。そういった両親の活動もあって、家にもよく海外の方がホームステイに来たり、近江八幡でも海外の方との関わりがありました。
母はウォーターハウスで子供達に英語を教えていたのですが、父の海外のお土産で買ってきたお菓子の材料で、マフィンやチュロスを作ってくれて、そこにいた子供たちはめちゃくちゃ美味しいと言って喜んで。当時は珍しいアメリカンな雰囲気だったので、今でも覚えているよとか、凄く懐かしいわとか、楽しかったというふうに言ってもらえますね。

――牧師さんって、活動場所は教会の中というイメージだったんですけど、お父さんのお話を聞くと全然思っていたものと違いました。

道城:うちの父が、どこかに留まったり決められた一つの仕事をするのが好きじゃなかったんですよ。おじいちゃんが作った大きい教会が明石にあるんですが、息子が教会を継ぐのが当たり前な時代にレールの上を歩くのが嫌で、あえて継がずにロサンゼルスに博士号を取りに行ったんです。父は典型的な牧師の道を歩んでいませんが、兄弟社学園の中で聖書の先生として授業を受け持ったり、学生の引率や海外との交渉とか色々とやっていくのが凄く楽しかったみたいですね。だから、金曜日、土曜日、日曜日も説教して、アクティブな感じでしたね。

――お父さんのお話を聴いていると、まるで道城さんみたいですね。

道城:似ているかもしれませんね。もう一つ、親父が凄いのは大学院卒業後、ボロボロの教会を立て直しているんですよ。まちには教会を立て直すお金がなくて、みんながアメリカンドリームを追いかけて一生懸命仕事をするのは良いことやけど、本当に自分達が大切にする神様の家がボロボロで良いんですか?みたいな話をしたらしく、そこでみんなが奮起してみんなで教会を立て直すために色々な仕事をして修繕資金をかき集めて。今でもその教会があるんですよね、20年前に訪れたときには、2世3世の人たちに当時のことを感謝されました。それは僕じゃないです、親父ですから、みたいな感じでしたけど。

―教会の立て直しは、ある種、まちづくりのようなものですね。

道城:本当にそうですね。教会は日本のお寺や神社と一緒でみんなの心の拠り所なんですよね。教会はまちの中心にあって、アメリカ人の活力の一つなんですよ。だから、凄く大事ですよね。だから、そういう意味では、まちづくりと一緒ですよね。

1度目の転機は交通事故。生かされたことで人生の価値観が変わった。

兄弟社中学校を卒業後、英語の習得のためにハワイの高校へ進学した道城さん。大学への進学資金を貯めるために近江八幡へ一時的に戻って来た際にあった事故が転機に。

道城:僕はアメリカの大学に進学するために学費を自分で貯めようと近江八幡で2年ほど働いていたんです。20歳でいよいよアメリカに行くという時に僕はバイクで事故を起こしましてね。大きな事故だったんですよ。夜だったので視界がちょっと悪くて、思いきりトラックと衝突したんです。気付いたら病院にいて、本当にその時死ぬと思ったんです。ヘルメットは全部割れていて、全治6か月と言われ本当に凄い状態でしたが、凄まじい回復力で3か月で退院しちゃったんですよね。
その時に、教会の人が俺のために祈ってくれていたそうで。そのヒーリングパワーが入ったんだと思う、絶対に3か月では退院は無理な状態だったから。そういう大きな経験があって、やはり自分の中で何かが変わったんです。死んでいたかもしれないのに、本当に滅茶苦茶幸運というか、もうこの命は僕だけの命ではないな、みたいなことを思い、意識するようになったんです。そういうスピリチュアルみたいなことはあまり好きやなかったんですよ。でも、事故で亡くなる人もいるなか、何で僕は生き残れたんだろう?と、もの凄く感謝をしましたね。それで、何か生かされた理由があるのではないかなと、その時は思っていました。その時からナッツに出逢うのにあと17年かかるんですけどね笑。

ナッツとの出会いは、夜明けとともに突然に。やっと見つけた探していた自分を表現できる場所。

学生時代にアメリカの有名飲食店で接客業を学び、その後日本に戻り入社した会社でBtoB戦略を学んだ道城さん。
「とにかく人が好きで、人を相手に商売をしたいと思ってました」
自分の力で誰かを喜ばせたいと思い、34歳の時に自身のプランニングの会社を設立。
その後どのようにナッツと出会っていったのでしょうか。

道城:ゴーイングナッツを始めたのは今から4年前なんですよ。
僕がアメリカに用事で行ったときに、おじのところに寄ると、面白いところに連れて行ってやると言ったんです。どこですか?と聞いたら、ナッツだと。ナッツ?と思いながらも行こうかなという気になって連れて行ってもらったんです。夜の12時に出発して車で12~13時間かかりました。

砂漠の中の道を進むので道中は何もない。本当に一本道なのね。何にもなくて、周りはもう岩山。砂漠のど真ん中。静かなわけです。
夜明けになると、地平線に大きな太陽がズドーンッ!と見えてきて、道の両脇は全部農園が広がっていたんです。

その時は、起業して3年経った37歳の時で、俺の人生はこのままなんとなく終わるのかな?と思っていて、この砂漠の中のドライブをしている間の暗闇でもずっとそれを言ってたんです。色々な人に出逢って面白い人生だったけれども、やはり起業は難しいし、自分を表現できない、お金とか地位とかではなく、まずは自分自身になれないことが一番嫌やったんですよ。
僕の人生をずっと探して色々挑戦してきたけど、このままなんとなく終わるんだろうな、と思った中に、ナッツの風景が現れたんです。

その夜、農園主の話を色々と聴いて、ナッツを作るのにあまり農薬を使わないとか、水だけあれば良いとか、砂漠の寒暖の地でも栽培できるので、環境への負荷が少ないことを知ったんです。

それでいてナッツはみんなが好きじゃないですか。ナッツは5000年以上前からあって、色々なところでナッツは食べられてきているんです。元々はイランやパレスチナ、イスラエルで食べられていて、世界中に広がっていったんです。長い歴史と世界各所で食文化に混ざっていったというのが面白いなと思ったんです。それがアメリカに来て、アメリカの広大な地でこんなに高品質なものができているというのも凄く面白いなと思ったんです。それで、もうその話を聴きながら、砂漠ででっかく昇ってきた太陽みたいに俺もできるかもしれないと本当に思いましたね。

ナッツは本当にやればやるほど飽きないんですよね。日々面白い。嘘みたいな話なんですけれども、僕は一人でいる時に、本当にナッツが話しかけてきているような感じの気持ちの時はあるんです。ちょっと心が通じるではないですけれども。まぁ食っていますけれどもね。(笑)そのくらい本当にピッタリなんです。
ナッツと出逢ってから人生が変わった。振り返ると37年間は硬い殻をつくる時期だったんですよね。

―ナッツが世界各国の食文化に独自に混ざっているというのが凄く面白いですね。

道城:僕は一番好きだったのが、そこだと思うんですよ。自分自身を表現できるキャンパスというのが、本当にそれがそうだったんだなと。ナッツで社会のキャンパスにどう自分を訴えていくか。どう表現するか。やはりそういうのが一番最後に見つかったんだなと思って。
今まで色々なことを経験してきた中で、共通しているのが人が好きということと、喜ばせたいということと、色々な国の人と関わりたい。やはりそういうのが良いなと思って。結局、人を喜ばしてみんなと関わるという職業観というのが一番強いんですよね。その中であまり嫌いな人がいないなと。色々な食べ方があって、ストーリーがあって。面白いですよね。

魅力的な点を線で繋ぎながら面白いまちにしていきたい。

―道城さんはご自身のお店だけでなく、商店街の活動も勢力的にされているのはなぜですか?

道城:2017年にここでGoing-Nuts!を始めたとき、商店街にお客さんが少ないなと思ったんですよね。何かムーブメントを起こさないといけないし、まだ発見されていない魅力的な人や場所が多いと思ったんですよ。近江八幡の持っている空間や人を一か所に集めて、地域が儲かれば僕も儲かるのは間違いないなと思ったんです。そうすると、元気のマインドが出てくるじゃないですか。やはり店主とかが元気がないと、まちも駄目なんですよ。だから、やはり事業主が、みんな和気あいあいと、これからの新しい形でやっていけたらと思うんですよね。滋賀でトップクラスに元気のある商店街になりたいですね。

僕は思うんですけれども、ヴォーリズさんは何で近江八幡にこだわり続けたのでしょうね。ヴォーリズさんは全国に1200もの建築を造っているんですよ。どれもクオリティーが高いし、まちの人に愛されるために造ってるんですよね。まちが彼を好きだったし、彼もまちが好きだった。ということは、やはり町屋とヴォーリズ建築というのを融合していくべきだと思うし、まちの代表的なランドマークになったらいいなと思っているんです。
それに、1時間半もあればこの周辺のヴォーリズ建築10軒くらい回れるんですよね。ここが色々なヴォーリズ建築を巡れるストリートになってくると面白いし、その中にあきんど道商店街があるので、琵琶湖のビワパールや近江牛の革製品のお店や飲食店もあるし、Going-Nuts!もファクトリーをオープンしたので八幡ナッツを楽しんでもらえる空間になればいいなと思っています。まちには魅力が点在しているので、それを線でつなぎながら、来てくれる人たちにまち全体を楽しんでもえたらといいなと思っています。

そうすると、僕一人の力ではなく、みんなで力を合わせて色んなことができるし、近江八幡がもっと面白くなると思うんですよね。

―あきんどみち商店街のことだけでなく、この道筋を起点に面白いことが広がっていくと良いと考えてらっしゃるんですね。

道城:はい。そうなったら良いと思っています。ヴォーリズさんが、ここは世界の中心だと言ったのがすごい発想だなと思うんですが、やはり信長が亡くなってから、天下が東京に移っちゃったわけじゃないですか。でもよく考えたら、近江八幡には秀次の豊臣家の城もあって、織田家の城もある。やはり凄いなと。ヴォーリズさんが言うように本当に世界の中心なんだと僕も思う。だから、それくらいの気持ちが商店街に広がっていったら、もの凄いことになると思う。琵琶湖は凄く近くやし、ここはほんまにええところやね。
多分500年前の城下町はもっとイケてたわけですよ。だから、ここもまたそうしたいという想いがあります。なので、僕の店のことだけではなく、まちのこともやるのではないかなと。そうしたら、人とかモノとか情報はいっぱい集まってくるから、もの凄く豊かなまちになっていくと思う。それで、コロナは結構チャンスかなと思っていて。価値観が都会より田舎に移っていき、住みやすい場所に住んで、リモートで仕事をするというのは凄く良いことだと思うんです。まさにそういうことを近江八幡はやってくれると思っているんです。

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INFORMATION
Going Nuts!
滋賀県近江八幡市仲屋町中21まちや俱楽部内
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